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院長ブログ

天龍寺を訪ねて

2021年8月15日

このお盆は大変な大雨でしたね。

 

被害に遭われた方、一日も早いご回復を願うばかりです。

 

当院は12日からお盆休みをいただきましたが、大雨の予想がでていたことや、コロナウイルスがまだまだ蔓延しているというニュースを耳にし、おとなしくしていようと思っていました。

 

ところが、ふとしたことで、京都の天龍寺というお寺に行ってみたいと、思いたちました。

 

天龍寺は、後醍醐天皇を祀ってあるあるお寺で、世界遺産ということを聞いていましたので、一度行ってみたいと思ってました。

 

ご存じのように、後醍醐天皇は鎌倉時代末期に楠木正成が仕えた天皇です。

 

楠木正成の家来が、瀬戸内海を渡り、高知県に落ち延びて、「楠瀬家」を名乗ったらしい、という言い伝えを、亡き父から聞いていました。

 

もしその話が本当であったとしても、楠木正成は、「楠瀬家」が仕えた殿様であって、私のルーツではないのですけど、お殿様である楠木正成は私が尊敬する人物だったのです。

 

その楠木正成が仕えた天皇、ともなれば、どんな人物なのか、たどってみたかったのです。

 

先に話した通り、お盆はおとなしくしておくつもりでした。

が、しかし、日帰りで天龍寺だけ訪ねて帰ってくるならいいんじゃないかと考え、一人でふらっと車で出かけました。

 

天龍寺は、観光名所として名高い嵐山の近くにあります。

 

さすがにお盆休みで、観光客がうじゃうじゃ居て、まさに3密かと思いきや、意外と道はすいていました。

 

大雨にコロナ禍じゃ、さすがに観光客もそれほど来ませんな。

お土産屋さんも寂しそうでした。

 

天龍寺は、門構えもとても立派で、その敷地内に入ると駐車場に案内されました。そして、お寺のメインホールである「大方丈」へ向かいました。

 

「大方丈」の入口で入場料を支払い、中へ入ると、大きな池のある庭が現れます。

とても広くてきれいで、おちついた石庭です。

 

眺めているだけで、とっても心が落ち着くんですよね。

 

きれいに円弧を描いた石庭の向こうには、夏だというのにカエデが多少赤みがかって生えていて、これまた何とも言えない美しさです。

ちょうどこのとき雨もやんでいたので、広いお庭の向こうに霧がかかった山が見えています。

 

さすが世界遺産、と言われる所以ですね。

 

いつまでもこのお庭を眺めていたくなるのですが、本日の目的は、後醍醐天皇に会いに来ることです。

 

「大方丈」を抜け、渡り廊下を歩いていくと、その廊下の両側にも小さなお庭かあって、可愛いらしい桔梗の花が咲いています。

 

渡り廊下をわたりきると、別のお堂・「多宝殿」があります。

 

そのお堂を覗くと・・

いましたいました、後醍醐天皇の立派な屏風絵が飾ってあります。

 

さすがに天皇様ですから、広ーい座敷の向こうに、どしっと座っていました。

 

そのお姿は、とてもおちついた表情で、この世を見据えているようです。

 

わが祖先が仕えた殿様が、さらにお仕えしたお方が、この後醍醐天皇だ、と思うと、さぞやご立派な方、頭が下がる思いです。

 

 

 

さすがに、些少ながらお賽銭をして、深々とこうべを垂れたのでした。

 

後醍醐天皇は、鎌倉幕府に不満をもつ武士を集めて、鎌倉幕府を倒し、より良い世の中を作ろうとしたのですが、結果的にはうまくいきませんでした。

 

そして、味方であったはずの足利尊氏に引きずり降ろされてしまったのです。

 

後醍醐天皇は、奈良に南朝を作り、味方であった北朝の足利尊氏と、争うことになり、最期は北朝を恨んで死んでいったそうです。

 

その足利尊氏が、後醍醐天皇の怨念を恐れて建立したのが、この天龍寺というわけです。

 

楠木正成は、この寺が建った時にはすでに滅んでいましたから、結局のところ全く関係ないんですがね。

 

でも、その家来である楠瀬家の当主は、きっと高知県のどこかで、お寺のことを知って、後醍醐天皇を想っていたことでしょう。

 

そんな祖先のことを想像しながら、世界遺産のお庭をみて、後醍醐天皇にもお会いできて、とっても満足しました。

 

そして私は、お土産屋にもよらず、京料理も食べずに、まっすぐ帰宅の途についたのでした。