先日、医師中村哲先生のドキュメンタリーをみました。
「良心を束ねて河となす」という題名で、一昨年BS1で放送されたもので、昨年末になって再放送されたので、録画しておいたのですが、実はほったらかしになっていました。
録画したビデオ、って録画したことに満足してしまい、そのまま見ずに放置、なんてことありませんか?
これでは資源の無駄ですな
やっとこの放送をみて、改めて感銘をうけましたので、今回はその感想について述べたいと思います。
私は、以前から中村哲さんの功績にあこがれていました。
中村先生は、アフガニスタン・パキスタンという発展地上国で、物資に恵まれず、さらに戦闘にも巻き込まれるという悲惨な国で、恵まれない現地の人たちに医療を提供したり、用水路を建設して干ばつした土地を蘇らせて多くの人々の命を救ったり、その功績はまさに神様のようです。
自分はそんなことをやってみたくても、とても真似できないから、ほんとにあこがれていました。
そんな素晴らしい人が、最後は何者かに命を奪われてしまうという悲劇が待っているのです。
その先生の、生い立ちから、功績、人柄など、つづったドキュメンタリー番組です。
中村哲さんは、幼少のころから祖父の影響をうけ、どんな境遇の人にも救いの手を差し伸べるという、精神が芽生えていたそうです。
また中学時代は、盲目の牧師様の影響をうけて、キリスト教の信者になり、さらに人助けの精神が植えついたのだそうです。
本当に困っている人の力になれるようなことをしたい、という純粋な気持ちから、医師の道を選んだのです。
31才ではじめてパキスタンの地を訪れ、30台前半にしてパキスタン・アフガニスタンで医療に携わることになります。
自分の30台のころ思いだすと、脳神経外科医師として患者の治療や研究をしてはいましたが、中村さんと比べてしまうと、平和な日本で、なんと、のうのうとした日々の生活に明け暮れていたことか、と思ってしまいます。
中村さんは、医療を始めるにあたって、まず命を繋ぐために、水が必要と考えました。
アフガニスタンは干ばつで干上がっていて、脱水と栄養失調、不衛生な環境で、人がどんどん亡くなっているという現状があったのです。
まず医師としてやれることより以前に、人助けをするためにできることは何か、を考えたのです。
土木建築について独学で勉強し、故郷の川の中州にある堰をみて自ら研究し、増水にも耐えられる用水路を建設しました。
ときに、日本に帰国して講演活動を通して募金を募ったり、同時多発テロ下のアメリカのアフガニスタンへの攻撃を、やめさせるよう政府に訴えたり。
そんな忙しいときに、自分の息子さんの病気を知りましたが、中村さんには会いに行く暇もなく、息子さんは亡くなってしまったのです。どんなに不憫だったでしょう。
自らの不幸にもめげず、中村先生はアフガニスタンの恵まれない人たちを助けることを息子さんに誓い、その人たちのために奔走します。
地元の人にも作れるように、針金で編んだ籠に石を詰めて、それを積み上げていくという、簡易的な工法を用いました。
たとえ中村さんがいなくなっても、現地の人たちだけで事業が継続出来るためです。
治水工事が進んで、干ばつした土地に緑がもどり、畑に農作物が作られるようになり、多くの人が健康になり救われました。
ついに息子さんとの約束を守ったのです。
そんなストーリーに、私は思わず泣けましたよ。
そして、これからは、本来の医師としての医療提供を、と思っていたことでしょう。
そんな矢先に中村さんは何者かに殺されました。
なんと痛ましいことでしょうか、神様はなんと不条理なことをするのでしょう。
ご家族もおっしゃっていましたが、いつか中村先生もこうなる覚悟は、あったのでしょう。
でも、まだまだ恵まれない人のために尽くしていてほしかった、と思います。
実は私もカトリック信者で、医師を目指した当初は、恵まれない人のために尽くそう、病気の人を一人でも助けたい、という純粋な気持ちはあったと思っています。
今でも、その気持ちだけは続いているのですが・・
それを、生涯行動に移し、やりとげた中村先生と、自分とを照らし合わせてみると、自分がやってきたことは、なんともちっぽけなことか?と自問自答してしまいます。
自分は、プライベートなことを優先してしまったのではないだろうか。
今考えると、恥ずかしくなってしまいます。
これからは、中村先生に一歩でも近づけるよう、人助けのための努力をつづけたいたい、と心に誓いました。