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院長ブログ

大学のクラス会

2016年10月20日
先日のブログで、「先週の日曜日は忙しかった」というのには、続きがあったのです。

父の墓参りまで話しましたが、その後とってかわって父のお墓の最寄駅である武蔵増子駅まで、兄に送ってもらい、新宿ー大宮経由で富山まで行ってきたのです。


目的は、今は無き富山医科薬科大学のクラス会。

10年ほど前に富山医科薬科大学は富山大学医学部になっていたのです。

田舎の大学で、一般の人にはどうでもいい話ですが、私にとっては母校ですから、名前がなくなったのは、ちょっと寂しいです。

それでも、ぼくたちの卒業生が100人中半分以上出席するというので、はるばる参加してきました。


初めて乗る北陸新幹線にまず感動しました。

思えば、私が学生の頃は、もの哀しい雰囲気の上野駅を、「特急はくたか」にのって、約6時間かけて富山にまで行ったものです。

東京に帰省してくるときは寝ているうちについたのですが、富山に戻るときは6時間が長かったこと長かったこと。

席が隣同士の人と、気が合えば宴会になったり、女性だとわくわくしたり、まったく無口の人だと長時間気まずかったり・・

6時間いろいろなドラマがあったのでした。

でも今や、大宮から富山までたったの2時間もかからないのです。

シートもゆったりだし、揺れないし、コンセントは全席ついてるし、まさに快適です。

まさに隔世の感ですね。隣の人と仲良くなれる間もなく、着いてしまうのがちょっと残念ですけど。


富山駅についたら、またまたびっくり。

高校を卒業して、大学受験のために初めて富山駅をおりたった時のことを、今でも鮮明に覚えていますが、まさにカルチャーショックでした。

ビルとよべるようなものはなく、朝市のような田舎臭い商店街が目の前にあり、駅前には傾きかけてキーキー音を立てて走る路面電車。

店といえば、お土産屋さんと、サービス悪そうなレストランか喫茶店くらい。

地味な服をきた人が行き交い、車は軽自動車ばかり、冬の雪とスノータイヤで道路はざらざら・・といった印象でした

それが現在は近代的なビルやホテルやショッピングセンターがたちならび、あのキーキー言ってた路面電車は格好いい新しい車両に様変わりしていたんです。
何せ道行く人に西洋人が多かったのには、度肝をぬかれました。

5分ほど歩くとクラス会会場についたのですが、これまた「名鉄トヤマホテル」だったはずなのに、何とかって言う、シャレた名前のホテルに変わっていました。


3階の宴会場にむかうと、すでに30分以上遅刻です。

皆さん会場のなかでは、さぞ大騒ぎ・・

と思いきや、意を決してドアをあけて中をのぞいてみると、会場にいた100人近い人々が、いっせいに、後方の私のほうを向いたのです!

前方の金屏風の舞台では、大学時代の恩師と思われる当時の教授が、ご挨拶をしていました。

思わず、あ、失礼しましたと一旦外にでようとしたのですが、一部の同級生が「おぅ!」と声をかけてくれ、幹事が僕のもとへ、そして静まり返ってたはずの会場がざわついたのです。

きょとんとして、つったていると、幹事が席に案内してくれて、まわりのみんなが小声で、「お、クスノセだぞ」を声をかけてくれて、皆がにこやかに私をみるのです。

なんだか気恥ずかしくて、とりあえずおとなしく席について小さくなっていたのですが、ざわついた会場の雰囲気のなか、挨拶していた恩師の先生の話が、話の腰を折られた格好で終わったようで、ようやく場がおちついたのです。

そして、懐かしい仲間で乾杯につぎ乾杯で盛り上がったのでした。

あとでわかったのですが、なんでもその挨拶していた先生は基礎医学の先生だった方ですが、真面目な話を延々とされていたそうで、皆飽き飽きして、早く終わらないかなと思っていたところに、good timingでいきなり私が会場に入ってきたということでした。

おかげでその退屈な話が終わったとのこと。

しばらくして、一人一人近況を述べる自己紹介があったのですが、私が呼ばれて金屏風まえに立ったら、なぜか歓声がわいたのです。

何もまだしゃべってないのに、何うけてるんだろ、と思っていたら、やはり、途中入室が、ある意味でヒーローみたいになっていたからでした。

でも、その恩師の教授には大変失礼なことをしたなぁと思いました。お酒ついで平謝りしてきました。


クラス会の話題といえば、もっぱら試験におちそうになった話とか、つきあってた異性の話とか、異性との合同コンパをした話が多かった気がします。

私は、つねにクラスのぎりぎり低ラインを、赤点ぎりぎりで切り抜けてきたのです。

試験前日の深夜に、試験に出そうなキモのところだけをノートにまとめて、そのコピーを回してくれた、優秀な同級生がいて、私は彼のおかげで無事卒業できたといっても過言ではないのです。

彼のコピーが出回るのは試験前日深夜の12時。それまでたっぷり睡眠とって、コピーをもらいにいって、朝の試験直前まで徹夜で丸暗記して、試験に臨んだものでした。

その優秀な彼は、元気に参加していましたが、予想通り富山大学の教授になっていました。

同じ同級生かと思うくらい、できが違うのに、親しく話をしてくれて、大変ありがたかったです。

最後に遅れてきた私が、わがまま言って幹事の人にお願いして、とった集合写真が下です。

皆、いい年してますが、気持ちはお互い学生同士のまま、盛大にもりあがったのでした。