こう見えても、最近いろいろと悩むことがありまして・・・
突然思い立って、去る7日の日曜日に日帰りで京都に行ってきました。
目的は、以前から尊敬している坂本龍馬のゆかりの地を訪れることです。勇気をもらえるかと思ったんですよね。
坂本龍馬が中岡慎太郎とともに暗殺された近江屋跡と、海援隊が最後に活動拠点としていた材木屋の酢屋を訪ねました。
どちらも、京都で一番の繁華街・河原町の一角にあります。
近江屋跡は、もうすでに回転寿司屋さんになっています。
人通りが絶えない河原町通り沿いにあるその回転寿司屋さんと、隣のパチンコ屋さんの間に、ポツンと「坂本龍馬遭難の地」と書かれた石碑があります。
その隣に竜馬の絵と木の札(写真1)があるだけで、通りがかりの人はほとんど振り向かずに通り過ぎてしまいます。
あの龍馬が最後を遂げた地なのに、人にも気づかれず、寂しいかぎりですが、だから余計に哀愁が漂うのかもしれません。
その場所から10分くらい歩いたところに、材木屋の酢屋があります(写真3)。
約300年の時を経て、まだその材木屋は営業しています。
当時は、その材木屋の前の高瀬川に、高瀬船が出入りし、荷揚げをしていたそうです(写真2)。
ここは、その高瀬川を通して、各藩の要所や大阪などに出入りしやすかったのだそうです。
材木屋・酢屋は、営業しているといっても、一階は木製のお土産屋さんで、二階が龍馬のギャラリーになっていました。
二階は当時、近江屋で龍馬が最後を遂げる前まで、海援隊本部となっていました。
この材木屋が海援隊を二階にかくまっていたんだそうです。
酢屋の建物は改装されているものの、その柱や梁は当時から残っているものだそうです(写真は禁止でした)。
そこには、竜馬が大政奉還に近づいた喜びを記した、乙女姉さんにあての、5mもの長い直筆の手紙が残されています。
また、当時使っていたとされる小物を入れる引き出しなどが置かれています。
ここで、大政奉還にむけて、船中八策を成文化させ、龍馬が日本の将来あるべき姿を考えていた姿が思い起こされます。
あまり大きな空間ではありませんが、ここに坂本龍馬をはじめとする海援隊の面々が集まって、日本の将来について毎日議論していたことに、思いを馳せました。
そして、どのような事情があったかはわかりませんが、近江屋に移らず、この材木屋酢屋で皆と潜んでいれば、殺されずにすんだのではないかと、残念に思わずにはいられません。
龍馬たちが短い生涯を賭して築いてくれた日本で、今平穏に生活している自分は、今までどう生きてきたのだろうか、自身の将来はどうしていけばいいのか・・
など考えさせられてしまいます。
私も気持ちを新たに、仕事に打ち込まねばなりませんね。そう思っただけで、訪れた甲斐がありました。


