長らくおやすみしまして、すみません。
あまりプライベートなことは、このブログでは出さないと思っていましたが、自分にとっては大きなできごとがあったので、報告します。
父が亡くなりました。
父は、酒もタバコもやらず、ずっと健康で、川崎市に住んでいました。
4-5年程前から、認知症がすすんで、私の名前もわからなくなり、90才をすぎてから徐々に寝たきりになって川崎市の施設でくらしていたのですが、施設の方や母や兄の看病で、それなりにおちついて生活しておりました。
まだまだ、大丈夫と思っていたのですが、食事がとれなくなったので8月初めに入院し、胃瘻をつくる予定でした。
胸に水がたまったとのことで、胃瘻は延期になっていましたが、その後肺炎を併発し、9月4日ころ容体が悪くなったので、私は急遽週末に父の見舞いに行ってまいりました。
6日は、父の呼吸は浅く、まさに虫の息で、いつ呼吸が止まるかわからない状態でした。
今まで近くにいてあげられず、認知症から守ってあげられず、健康管理も母や兄まかせで、何もしてやれなかったのです。
最後くらいはずっとついてあげようと思っていました。
でも医者のくせに、最後に父にしてあげられることって、何もないんです。
頬をさすってあげたら、髭が結構のびていることに気付き、電気カミソリでそってあげました。やってあげられたのは、たったそれだけなんです、情けないことに・・
夜の9時になって、終電にぎりぎり間に合うかどうかという時間になり、ここで病院を出なければ翌日の診察は休診にせざるを得ないので、父にどうしようかと声をかけると、わずかに目をあけてうなずいたように思えました。
ちょうど看護師さんが夜の検温にきて、血圧をはかると130mmHgもあるとのこと。
このまま病室に泊まっていこうか、最終電車で帰ろうか迷っていたのですが、何となく父が、まだ大丈夫だから帰っていいよと言ってる気がしました。
今まで医師としてたくさんの患者さんの最後に立ち会ってきたので、この状態では、もうまもなくだろうとわかってはいたのですが、また来るからね、待っててね、と声をかけて、病室をあとにしました。
帰りのバスの停留所は、大雨でした。
父に申し訳ない、申し訳ないと思いながら、バスにのりこみ、最終の新幹線に乗りました。
翌7日早朝、兄から電話があり、父がなくなったとのこと。
やっぱり帰らないで病室に泊まっていけばよかったと、ずっと後悔していましたが、父が仕事に戻れと言って、自分の最後の姿を私に見せたくなかったんだと、いいように自分にいいきかせて、患者さんの前では悲しい素振りは見せないようにと決めていました。
7日朝の朝礼で職員に父の訃報を報告したあと、いつもどおり午前の外来を始めました。
不思議なもので、患者さんと話をしていると、父の悲しい出来事は忘れて、仕事に没頭できました。
昼になり、兄から、母が気丈にふるまっていた事を聞き、自分も帰ってきてしまったことを後悔しないようにしようときめました。
今後の予定を聞いたところ、8日に通夜のミサ、9日午後に葬儀のミサの予定と聞かされました。
9日午後は、私が地域の人に話す講演会の予定でしたので、バッティングしちゃう、と愕然としました。
保見交流館の係の方に電話してお聞きしたところ、例年は70~80人なのに、なんと今回は100人以上の人が来てくれる予定とのこと。
それはキャンセルできない、そんなにたくさんの人に迷惑はかけられないと思い、兄に話して、通夜だけ出席して葬儀は欠席させてもらうことにしました。
8日午前診察後にクリニックを後にして、午後の診察と9日水曜日の診察は休診にさせていただきました。
その時間に来院いただいた方には、大変ご迷惑をおかけしました。
通夜のミサの前、お御堂に置かれた柩の中の父に会いました。
頬をさわると、髭をそったときの温かみはありませんでしたが、虫の息で苦しそうだった日曜日よりも顔色もよく、安らかな顔をして寝ていました。
心の中で、最後までいてあげられなくてゴメンと言いましたが、父は私に、自分の最後の姿を見られなくてよかったよって言ってる気がしました。
荘厳な通夜のミサがおわり、翌朝父に会ってから愛知県に戻ろうと決めていました。
朝食の後、台風の影響で大雨のなか、歩いて教会に向かいました。
教会の玄関についたとき、保見交流館の方から携帯電話がかかりました。
なんと、台風で暴風雨警報がでたので、講演会は来週に延期しますとのこと。
はからずも、葬儀にでられることになったのです。
きっと父が、今度は最後まで居ろって言ったんだと思いました。
兄のはからいで、父の葬儀のなかで遺族代表挨拶をする大役をさせていただき、父を最後まで見送ることができました。
この二日間は大雨でしたが、最後に父が荼毘にふされたあと、お骨をになって外にでると、外はきれいに晴れ上がっていました。
きれいな虹が二本出ていました。まるで父が旅立っていった架け橋のように。
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