めっきり寒くなりましたね。
急に木々も色づいてきました。
約1ヵ月前のことですが、県医師会の救急委員の方から、突然おしらせが来まして、11月に行われるスペシャルオリンピックスの医療救護スタッフをやってもらえないか、とのことでした。
いったい、スペシャルオリンピックス、てなんのことかわからなかったし、せっかくの日曜日が一日つぶれるなんて、まっぴらごめん、と思って、やんわりとお断わりしたのですが、地元の豊田で開催されるし、県医師会救急委員として、是非とも出てほしい、というので、渋々引き受けたのでした。
よく話をお聞きすると、スペシャルオリンピックスとは、知的障がいのある人たちに、様々なスポーツトレーニングを行い、その成果の発表の場である競技会のことだそうです。
そして、スペシヤルオリンピックスは非営利活動で、運営はボランティアと善意の寄付によつておこなわれています。
今回は、当院からすぐ近くの、トヨタスポーツセンターで、中部地区の知的障害の人たちやボランティアの人たち400人ほどの人が集まって行われる、とのことです。
クリニックからほど近いところで開催されますし、ボランティア活動のお手伝い、と聞いては、断れませんな。
気持ちを入れ替えて、”渋々”ではなく、”喜んで”参加することにしました。
おりしも、この日は秋晴れのとっても良い天気に恵まれました。
私は、朝の開会式に出席したあとは、ずっと救護室に詰めて、けが人が運ばれてこないか、準備をしていました。
しかし、誰も入ってこなくてあまりに暇なので、ちょっと競技場を覗いてみますと、皆さん一生懸命、それぞれの競技に取り組んでいました。
中には、健常人と同じくらい足の速い人もいれば、歩くくらいのスピードながら、懸命にゴール目指している人もいて、周りをボランティアの人たちが励ましたり、ちょっと助けたり。
知的障害の人たちの親御さんたちも応援に来ていて、自分の子供たちである参加者が無事ゴールすると、それだけでとっても喜んでいるようでした。
主催者の会長さんが話してくれたのですが、もうこの競技会も13回目、すなわち13年以上前から毎年行われていますが、初めのころは完走できる人はほとんどいなかったそうです。
途中で立ち止まって、競技場から出てい追ってしまう人、走るのをやめていきなりトラックの土を掘り始める人、いきなり奇声をあげる人など、さまざまだったそうです。
それが、訓練を重ねるにつれて、きちんと競技を理解できるようになり、目標に向かって完走できるようになったのだそうです。
そういえば、開会式では、司会者も主催者もボランティアの係の人たちも、知的障害者の人たちを、アスリートと呼んでいました。
知的障害の方を、不憫に思ったり同情するのではなく、一人の人間としてリスペクトしているのだ、と感じました。
今回で13回目の競技会ですが、今までは救護所には主に看護師さんやリハビリ技師の方が待機していたそうで、参加者がだんだん増えたこともあり、今回初めて医師にお願いすることになったそうです。
光栄にも私がこの競技会の救護員として、初めてのドクターだったのです。
私はほとんどの時間、救護所に居ましたが、結局1人も運ばれてきませんでした。
これは、幸いなことだったんだろうなと、思っています。
そして午後2時を回ったころ、係の人が私を呼びに来て、なんでも、ひと通り協議が終了したので表彰式をするから、プレゼンターとして参加してくれというのです。
ちょっと恥ずかしいけど、私で勤まるなら、と承諾しました。
すぐ終わるのかと思えば、250人ほどのアスリート、全員にメダルを渡すのだそうです。
そうすることで、参加者全員が、何らかの達成感が得られるし、一番になれなかった人も次の目標ができるし、とても良い表彰式だと思いました。
司会進行が始まると、プレゼンターが前に座り、一人ひとり紹介されました。
フィギアスケーターの小塚崇彦さんや、DJで有名な人(お名前は失念しました)、トヨタ自動車の会長と社長の奥様、など10人ほどの著名人の方々がいました。
皆さん、このボランティア活動に賛同して参加されているのです。頭がさがりますね。
そんななか、私はたまたま居合わせた、ただの救護スタッフ医師なのですが、著名な方々と一緒にプレゼンターをやらせてもらいましたことは、光栄でした。
各競技、参加者全員が次々と名前を発表され、それぞれ表彰台に上り、私たちプレゼンターが一人一人のアスリートの首にメダルをかけていくのですが、皆さん満面の笑顔で、メダルを受け取っていました。
なかには、表彰台に登ろうとしない人や、台の上でも落ち着きのない人も多かったのですが、ボランティアのスタッフの人たちの誘導で、何とか表彰式は進行したのでした。
私も順番どおり何度も表彰台の前に立って、メダルを首にかけ、そのアスリートの知的障害の人と握手したり、ハグしたり。
アスリートたちの笑顔を見ると、私まで、心からよかったね、という気持ちになります。
何しろアスリート200人以上、全員にメダルをかけていくのですから、表彰式は1時間以上かかってしまいました。
かくして、私は、救護所のドクターとしての仕事を一切行うことなく、私の主な仕事は表彰式のプレゼンターだったのです。
ボランティアの人たちの主催する、この競技会に初めて参加できましたこと、そしてけが人もなく競技会が無事終了できましたこと、本当によかったと胸をなでおろしたのでした。