皆さま、ゴールデンウィークはいかがお過ごしだったでしょうか。
今年は、中3日をお休みすると、どーーんとお休みがとれるということで、スタッフの休息のために、(いや、自分のためでもあるのですが、、)9日間も連休をとらせていただきました。
診察中かと思って、当院にご来院された方もありましたようで、ご迷惑おかけして大変申し訳ありませんでした。この場をかりて、お詫び申し上げます。
私、この連休を利用して、ずっと以前からどうしても行ってみたい、いや、人生で一度は行かなくてはいけない、と思っていたある場所に行ってきたのです。
一般的には、あまり皆さんが行きたいとは思わないような、むしろ目をそむけたくなるようなところです。
それは、東ヨーロッパ、ポーランドにあるアウシュビッツ収容所跡です。
第二次世界大戦中に、ヒトラー率いるナチスドイツ軍により、罪もないユダヤ人たちが、世界中から集められて、この収容所に送られ、約100万人ものユダヤ人が殺害されたところです。
まさに負の遺産、
ヒロシマの原爆ドームも負の遺産として日本人にはなじみ深いところですが、アウシュビッツは日本からは遠いですし、日本人は関与していませんから、馴染みのないところかもしれません。
私は映画を見る時、人が殺されるような悲惨なシーンが苦手で、できれば見たくないのですが、あえてこの悲惨な場面が多く描写されている、映画「シンドラーのリスト」を見て、とっても感動し、最後は涙がとまらなかったのです。
その後は、何回この映画を見ても毎回泣けるんですね。
この悲惨な舞台となった、アウシュビッツとういう場所に、一度でいいから実際に行ってこの目で確かめ、罪もなく無念に殺されていった方々に、少しでもご冥福をお祈りしたかったのです。
アウシュビッツに行こうなんて、誘っても来てくれる人は誰もいないだろうと思い、今回は思い切って全くの一人旅で行くことにしました。
半年くらい前からこのゴールデンウイークを狙って、いかに効率よく、いかに安く行くか、計画をたてました。
アウシュビッツは、ポーランド南部のクラクフという都市の近郊にありまして、まずクラクフにどうやって行くか、計画しました。
名古屋からクラクフに行くには、東京の空港からでないと不便で、それも何度も乗り換えないとたどり着けず、時間もお金もかかることがわかりました。
周辺の都市から入ることを考え、いろいろ検索しますと、名古屋から便利で比較的安く行けるのは、ポーランドの隣の隣の国、ハンガリーのブタペストから入ると比較的時間も短く、安く行けることがわかりました。
ついでに、いろいろ観光もしたいので、レンタカーを借りて、ブタペストから隣の国スロバキア、クラクフ、そしてアウシュビッツへと向かうことにしました。
およそ600kmくらいの道中です。
着々と航空券やホテルをとって、レンタカーも予約して・・・
と計画は進んだのですが、そこで障壁があることにきづいたのです。
どうも、アウシュビッツ収容所博物館に入るには、個人では難しく、ガイドツアーにはいらなければ、入れないそうなのです。
ある人のブログで、日本人唯一のガイドの中谷さんという方にガイドを頼めばいい、と書いてあったので、さっそくメールしてお願いしたところ、私の行く日は用事があってどうしてもガイドしていただけないとのこと。
中には入るには 外国人ガイドのグループに申し込まなければならないのですが、私が連絡をとった頃に博物館のホームページを見ますと、残っているツアーはポーランド語・ロシア語・ドイツ語など・・英語のツアーはすべて埋まっていました。
そこで、中谷さんが提案してくださったのは、何語のツアーでもいいからとりあえず予約して紛れ込んでしまい、一緒に入場するしかないとのこと。
言葉がわからなくて何を言ってるかさっぱりわかないんじゃ、しょうがないだろ、と思いましたが、館内の書店で日本語のガイドブックを購入して、それを手元に見ながら、ガイドの言うことを聞いているふりしてついていけばいい、というのです。
どうせ何言ってるかわからないのなら、どこでもいいやと、地元のポーランド語のツアーに入ったのです。
ブタペストに到着して、途中ホテルに泊まりながら、600kmの道のりをドライブし、出発からようやく3日目にして、目的地アウシュビッツに到着しました。
アウシュビッツの町は、何の変哲もない、ちょっとしたベットタウンといった感じです。
収容所博物館の看板に従って進んでいきますと、大きな駐車場にたくさんの観光バス。
もっと寂しい寒々としたところと思っていたのに、想像とは全く別の、ちょっとした観光地でした。
そしてツアーの時間に入場口に行き、チケットを見せると、アドバイスのとおり、すんなり入場でき、書店で日本語ガイドブックを購入し、さっそくアウシュビッツ収容所博物館に入りました。
ポーランド人のツアーガイドに、ポーランド人らしきヨーロッパ系の観光客が数十人、その中に場違いともいえる日本人一人、の団体で博物館内に入ってまいります。
収容所入り口に小さな門があり、ドイツ語で「働けば自由になれる」(写真1)と書いてあるのですが、実際にはいくら働いても自由にはなれず、男性は毎日亡くなった遺体を運ぶ、という悲惨な労働につかされたそうです。
続いて、被収容者が脱走できないように高圧電流が流れている、鉄条網に囲われた、収容所の中に案内されました。(写真2)
ヨーロッパ中から、ユダヤの人たちが集められて、窓のない貨物列車(写真7)に詰め込まれ、アウシュビッツに運ばれてきました。
そしてまず、働き手と、働き手とみなされない人(例えば妊婦や老人、子供たちや障害者など)が分別され、働き手でない人々はすぐにガス室へ送られ、亡くなっていったのです。
その遺体を、働き手の人たちが集めてきて、穴をほり、遺体を埋めていったのです。
なんて悲惨な状況でしょうか。
博物館内には、疲れ果てて歩かされている人たちの横で、タバコ吹かして笑っているドイツ兵の写真、髪の毛そられて裸で立っている少女たちの写真、その他数々の目をそむけたくなるような、証拠写真が掲げられております。(写真3)
ほかの建物には、亡くなった人たちから脱がされた、おびただしいほどの数の靴が、山積みされています。その隣の部屋には、障害者から剝ぎ取られたものらしき、義足が多数積まれています。
そのほかにも、悲惨な状況(古い木の二段ベットや、雑魚寝させられていた布団、生活用品など)が建物内に残されています。
大量殺戮に使われたガス室(写真4)や、遺体の焼き場にも案内されました。
建物の外には、さからった人達の処刑された場所などもあり、まさに言葉に言い表せないほど、悲惨な光景です。
このような地獄の情景が、今も残されてるのは、本当に驚きです。
二時間ほどのガイドが終わると、次に数キロ離れたところにあるビルケナウ収容所という、第二のアウシュビッツ博物館にバスで訪れました。
そこは第一収容所より広大な敷地で、大きな門にむかって線路が数本しかれたままになっており(写真5)、その門を貨物がはいると、そこは収容所、貨物列車の終着なのです。
そして同じ様に、働き手と働き手でない人に分けられ、ある人々はすぐにガス室へと送られていったのです。
ある建物は、第二次大戦が終わる直前に、証拠隠滅のためにわざと破壊されたり焼かれたり、現存する建物も多数ありますが、当時のままです(写真6)。
監視所や、電流がながれる有刺鉄線の柵も現存しています。
ユダヤの人たちが連れてこられた、窓のない貨物列車も無造作に置かれています(写真7)。
こんな広大な施設を、今でも保存してある、ポーランド政府にも頭がさがります。
この書面では書き足りない、まだまだ見て感じたことがたくさんあったのですが、とても貴重な体験ができましたこと、
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