19日の日曜日は豊田でマラソン大会がありました。
毎年恒例の大会なのですが、はじめてこの大会に参加したのです。
といっても、走ったのではありません。
じゃぁ、見学? でもないのです。
医師会の救急担当理事である私は、このマラソン大会の救護委員長にまつり上げられ、裏方として参加したのです。
話はさかのぼりますが、実は前日の土曜日は当院の三周年記念兼忘年会でした。
今年の忘年会は、お料理重視の宴会にしたのですが、やはりつぎからつぎへと飲んでは返杯の嵐、いつものパターンで飲みすぎたのでした。
翌日はマラソン大会で早起きしなければならないので、深酒は絶対にしないと決めてたのに、結局いつものとおりでした。
二次会がおわり、終電にのって自宅に向かい(今回は乗り過ごしませんでした!)寝たのは夜中の1時でした。
こうなることを予測して、マラソン大会当日は5時半に目覚ましをセットしておいたのです。
かくして、5時半に目がさめたまではよかったのですが、ふらふらして頭痛と吐き気がひどく、頭痛薬と吐き気止めをのんで、水をぐゎーっと大量にのんで、無理やり二日酔い症状を改善させ、豊田スタジアムに向かったのです。
私にとっては、あわよくば大雨で中止になってほしかったのですが、朝から快晴でした!
晴れて欲しかった春の花見は、雨だったのに・・
マラソンのスタートは9時半だというのに、裏方の救護班の集合は7時。
まどろみの中、スタジアムの中に入って、「救護本部」の看板に従って進んでいくと、もうすでにたくさんのスタッフの方々が集まっておりました。
7時ぎりぎりに着いた私は、いつものように最後でした。
まず、委員長から朝礼の一言を、と向けられた私は、ふらふらのまま皆さんの前に立ち、半分ろつの回らないままにご挨拶しました。
チームワークを大切に、参加者の健康を守るために、頑張りましょうとだけ言ったと思います。(あまり覚えてない・・)
市役所の係りの人から説明があったあと、各救護班に分かれてミーティングがあり、そのあと各会場へ案内されました。
はじめてスタジアムのピッチに立ったのですが、そこから見る観客席は壮大でした。
観客席の上の方は、すり鉢のように急なせりあがりになっているんですね。
今は観客席にだれもいませんが、Jリーグの選手がここで日々試合をしていて、ウヮーっと盛り上がるんだなと想像すると、感慨深い気持ちになります。
芝生は天然で、ところどころ禿げたところがありますが、きれいに整備されていて、立ち入り禁止です。
なんでも一回整備するだけで、1000万円くらいの費用がかかるんだそうです。
そして、屋根は空いているのですが、雨の日は閉まるのですか、と市の職員の人に尋ねると、なんでもスタジアムができて、まもなく壊れて閉まらなくなったそうです。
修理にも何千万、一回の開け閉めにも、お金が相当かかるのだそうで、結局壊れて空いたままなんだそうです。
だからドーム様の競技場であっても、ドームではないんだそうです。こうした裏事情を聞くと、ちょっと情けないですね。
こうした、一般にはちょっと体験できないような、場所に入れて話を聞けて、よかったのです。歩いているうちに酔いも少しずつ覚めてきましたし。
記者会見室や、貴賓室、放送室なども見せてもらって、フィニッシュやスタート地点も案内されました。
途中、おでんなどの屋台もすでに準備がすすんでました。まるでお祭ですな。
救護本部にもどって待機していると、まだスタートまで1時間以上もあり、待機するようにとのこと。
酔いからさめて、あらためてスタッフの方々を見ますと、事務方や体育協会の方々、救急隊の人たち、民間救急の職員、AED持参の自転車部隊である中京大学の学生さん、そして医師と看護師さんなど、たくさんの人が本部に集まっています。
看護師さん4人と医師4人は、ペアになって行動するのですが、みなさん若くてきれいな看護師と若いハンサムな医師たちなんです。
(私も一応医師なんですが、総監督という立場なので、仲間はずれです)。
そうこうしているうちに、スタッフのみなさんは、本部に残る人、スタート地点に向かう人、各救護所や救護車両に乗って動く人、それぞれの班に分かれていきました。
私は何をすればとまごまごしているうちに、再び頭痛と吐き気とめまいが襲ってきました。
こちらが救護されたいよ、と思いました。
昨年は、天気が良すぎて暑かったそうで、脱水の人中心に20人以上の人が救急搬送を受けたそうです。
今年は涼しかったせいか、しかも雨もふらずにちょうどいいマラソン日和でしたので、救護所に運ばれたり自分から駆け込んだ人はたったの5人でした。
やや重症の脱水の人が一人、念のため救急搬送されましたが、意識もまあまあしっかりしていましたし、大事にはいたらなかったようです。
今回は天候に恵まれたということもありますが、重症の人も出ずにすんで、本当によかった、参加者の健康をお守りできたのです。
そして、午後12時過ぎには、各救護所のスタッフも本部に戻ってきて、みな口々に、暇っだったと話していました。
こんなに暇なら、こんなたくさんのスタッフいらなかったじゃん、という声もちらほらありましたが、結果は蓋をあけてみるまでわかりませんので、しかたないですよね。
結果オーライということで、めでたしめでたし、予定通り1時には解散したのでした。
私の二日酔いは全快とはならなかったけど・・・
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